vol.24
写真家トニー・ウーさんの「トニーと海の物語」の第24回です。このコラムも今回で最終回です。 今までお付き合いくださりありがとうございました。この「つくりら」の『トニーと海の物語』の中に、これまでとても多くの、そして興味深い海の生き物たちが登場してきてくれました。そしてそのどの生き物達に対してもトニーさんの様々な想いが込められていることに気づかされました。さて、この連載を通してトニーさんが一番に伝えたかったことは何なのか。この最終回のラストメッセージをどうぞご覧ください!!
下の写真はシロナガスクジラ(Balaenoptera musculus)。大きいものでは体長30メートルほどにもなる史上最大の動物です。この個体は体長が20~25メートルなので、新幹線の車両1台分くらいの長さです。
僕が見つけたとき、このシロナガスクジラは海面で息継ぎをしているところでした。すでに何度も呼吸をしていたので、そろそろ深場に戻ろうかというタイミング。それまでオキアミという小型の甲殻類を食べていて、何分か前に海面に上がってきていたんです。
その日は素晴らしいお天気でした。穏やかな海に、燦燦と輝く太陽。僕のいるところから何十頭ものクジラがいるのが見えたので、海の中には大量のオキアミがいたに違いありません。シロナガスクジラは大食漢ですからね。
写真のクジラと僕は、互いのいる方に向かってまっすぐに泳いでいました。僕が下へ向かって潜り始めると、続いてクジラも下方向へ。僕らはだんだんと近づいて、水中で顔を合わせました。クジラとの距離はごくわずかで、手を伸ばせば届きそうなほどです。
クジラの目が僕を見つめたまま、僕の前を通り過ぎていきます。僕は身動きもできなくなって、見つめ返しました。クジラは下へ向かって潜り続けます。頭の部分が通り過ぎたところで、僕はクジラの体に沿って浮上し始めました。目の前の肌の質感や筋肉の様子をじっくりと眺めつつ、その体のあまりの大きさに感嘆しながら上昇を続けて、特大サイズの尾びれの脇を通り過ぎると、ほどなくして海面です。僕は海面に出るやいなや、空気を求めて荒い息をつきました。
上の写真は、1枚目の写真とは別のシロナガスクジラです。先ほどのクジラよりも、さらに大きな個体でした。
シロナガスクジラは基本的に人間に興味を持ちません。たまたま出会ったとしても、彼らはどこかを目指していたり、餌を探しに行ったりするところなので、通り過ぎていってしまいます。
上の写真のシロナガスクジラは、何時間か僕のそばにいてくれました。といっても、もちろん、片時も離れなかったわけではありません。
シロナガスクジラは(というか、クジラやイルカの仲間はすべて)人間と同じ哺乳類。肺で空気を吸って呼吸します。
このクジラは捕食中でしたが、一区切りつくたびに海面に上がって息継ぎをしていました。そのたびに、どういうわけだか僕のボートのそばに浮上して来て、プシューっと息をしながらこちらに向かって泳いでくる、ということを何度も繰り返していました。僕は海にすべりこんでゆっくりクジラと合流です。
シロナガスクジラはかなりのスピードで移動します。のんびり泳いでいるときですら、その速さは相当なものです。なんといってもあの長さですから、体と尾びれを一捻りするだけで、グンっと前に進むんです。シロナガスクジラが泳ぐスピードは平均で秒速6.3メートル(時速22.5キロメートル)くらいとよく言われますが、全速力で泳げば倍以上のスピードが出ます。
人間だと一流の水泳選手がプールで短距離を泳いだ場合でも、最速で秒速2.4メートルくらいです。僕はそんなに速くは泳げませんが、足にフィンをつければ、それに近いスピードが出せるんじゃないかと思います。
何が言いたいかというと、このシロナガスクジラがどんなにゆっくり動いていても、僕には到達出来ない速さだということ。
最初の2回、海に入ったら、僕は全力投球でクジラの方へ泳ぎましたが、じきにスピードが落ちて、クジラから離れてしまいました。結局、写真が撮れるほどの距離には一度も近づけずじまい。こんなに友好的なクジラに出会えたというのに悔しかった。気が付くと心臓はバクバクで筋肉はパンパン。あ〜もう限界と感じて諦めました。
しかし、また浮上してきたので再挑戦。今回は若干スピードを落としてくれたように感じましたが、ついていくのは至難の業です。
すると、驚くようなことが起こりました。
シロナガスクジラは普通、S字状のカーブを描くように体を上下方向にくねらせながら泳ぎます。こんなふうに。(注:別の個体の写真です。)
この様子は、船の上からでは決して見ることができません。見えるのは背中の一部だけですし、見える部分の動き方はこんなにしなやかではありませんから。
しかし、僕が追いかけていたクジラは思ってもみなかった行動をとりました。それまでは上下方向に体をくねらせていたのに、その普通の泳ぎ方をやめて、尾びれをごくゆっくりと左右方向に流れるような動きで振り始めたんです。
シロナガスクジラにこんなことができるなんて、僕は知りませんでした。
動き方が変わったら、スピードが目に見えて遅くなりました。その時点で僕はクジラから15メートルほど遅れをとっていましたが、何とか(かなり必死になって)頑張って、その距離を縮められたほどです。そうして、ようやくクジラのすぐ後ろを泳ぎながら、2枚目の大きい尾びれの写真を撮影できました。この尾びれは端から端まで5メートルくらいありました。
笑われるかもしれませんが、僕はこのクジラが泳ぎ方を変えたのは僕のためだったんじゃないかと感じました。きっと、絶望的に泳ぎがヘタクソな生き物、つまり僕に気を使ってくれたんです。
海の生き物にまつわる写真とお話しをお届けしてきたこのコラムも、これで24回目。最終回を迎えました。
小さなウミウシからケンカっ早いジョーフィッシュ、かわいらしいアシカや美しい鳥、ホッキョクグマやクジラまで、世界中の海に暮らす素晴らしい動物たちの話は、いかがだったでしょうか。楽しんでいただけたなら嬉しいです。
コラムの各回では、僕が愛する海の動物たちについて、その暮らしぶりを多少なりともお伝えすることを目標にしました。また、動物たちの写真や基本的な情報に加えて、ここでしか読めないようなこともお伝えしようと努めました。それは教科書やドキュメンタリー番組では知れないようなこと、たとえば、毛むくじゃらのフロッグフィッシュが餌をたらふく食べたときの様子がどんなに愉快か(第9回)とか、クジラのウンチは外見もすごいし、その中を泳ぐ体験も驚きだけれど、それだけじゃなくて人間が生きていくうえで欠かせないが、それはなぜか(第17回)といったようなことです。
話をひとつずつ読んでいても分からなかったかもしれませんが、僕はある狙いを持って、これらの話を書いてきました。各回のテーマよりも大切な、あるメッセージをお伝えしたかったんです。最終回を迎えた今、ようやくそれを明かすことができます。
僕がコラムで書いてきたのは、本当は海のことでも動物のことでもなく、写真のことでもありません。
僕が書いてきたのは、夢についての話。もっと正確に言えば、人生の目標を持って、それに向かって努力をする話です。
コラムでご紹介した写真とお話はどれも、僕が何かを知りたいと心に決めて、それを実現するために具体的な計画をたて、その計画に沿って最後まで頑張り抜いた成果です。
シロナガスクジラを例にとりましょう。
「シロナガスクジラが見たい」と口で言うだけでは、何も成し遂げられません。調べ物が必要ですし、時間もかかるし、体を鍛えたり体調を整えたりしなくちゃいけない。根気も必要ですし、リスクもあります。必要な準備作業をすべて終えた上で幸運に恵まれて、ようやく目的を果たすことができたんです。
こんな英語のことわざがあります。”You make your own luck.”(幸運は自分の力で作り出せ)
言い換えれば、自分のしたいことや成し遂げたいことが何であろうと、それをかなえるために何をすればいいかを考えて、そのうえで実行に移すのが何よりも大切ということ。目標は大きく、実行は一歩ずつ確実に。焦らず小さな成功を積み重ねていけば、最後には輝かしい成功をおさめることができます。
失敗も成功のために必要なプロセスだと理解しましょう。うまくいかないことがあっても、その失敗から学んでいけば、その度に一歩成功に近づいたことになります。
第12回のコラム「大変身」を覚えていますか? 僕はコブダイのヤマト君の魅力を最大限に引き出すためにはどうやって照明を当てたらいいか、5年以上も試行錯誤を重ねました。友人たちに手伝ってもらって照明のための機材を作り、試しに使ってみて、失敗して、その経験を活かして機材を改良して、ということを繰り返したんです。最終的には改良した機材が大いに役立ってくれて、佐渡島での撮影を成功させることができました。何度も失敗したおかげで、成功にたどりつけたわけです。
ここまでお伝えしてきた一連のコラムは、ひとことで言えば自分の夢の物語。海の生き物を観察しながら知識を得て、なるべくインパクトを与えるような写真を撮って、皆さんに海の美しさを紹介するという夢の話でした。
最後はこんな言葉で締めくくりたいと思います。人生におけるやりがいや喜びは、夢に向かって努力することで得られるもの。人生の舵を握るのはあなた自身です。さあ、あなたの夢をかなえましょう。
最後まで読んで下さって、ありがとうございました。
トニー・ウー
もともと視覚芸術を愛し、海の世界にも強く惹かれていたことから、1995年以降はその両方を満たせる水中写真家の仕事に没頭する。以来、世界の名だたる賞を次々と受賞。とりわけ大型のクジラに関する写真と記事が人気で、定評がある。多くの人に海の美しさを知ってもらい、同時にその保護を訴えることが、写真と記事の主眼になっている。日本ではフォトジャーナリズム月刊誌『DAYS JAPAN』(デイズ ジャパン)の2018年2月号に、マッコウクジラの写真と記事が掲載された。英語や日本語による講演などもたびたび行なっている。
東京都出身。東京農工大学農学部卒業、同大学院修士課程修了。英日翻訳者。主にノンフィクション書籍の翻訳を行う。訳書は『RARE ナショナルジオグラフィックの絶滅危惧種写真集』(ジョエル・サートレイ著/スペースシャワーネットワーク)、『知られざる動物の世界9 地上を走る鳥のなかま』(ロブ・ヒューム著/朝倉書店)、『動物言語の秘密』(ジャニン・ベニュス著/西村書店)、『野生どうぶつを救え! 本当にあった涙の物語』シリーズ(KADOKAWA)など。
翻訳協力:株式会社トランネット