vol.21
写真家トニー・ウーさんの「トニーと海の物語」第21回目です。今回は一風変わった海の中の生き物のお話です。海面の下の色鮮やかな生物たちにも秘められた物語がありました!普段抱いているイメージとはまた違った興味深いエピソード満載の「ウミウシ」のドラマをたっぷりとご覧ください‼ 知られざる「正体」が明らかになりますよ!
海のことを考えたとき、たいていの人の頭には青い色が浮かぶと思います。なんといっても、晴れた日の海は青く見えることが多いですし、旅行会社がさわやかな南の国への旅行を売り出すときにも、青い海のイメージを使いますからね。
でも、知らない人が多いかもしれませんが、青一色の海面の下には、色とりどりの動物たちがたくさん暮らしています。
そのいい例がウミウシです。
(イガグリウミウシCadlinella ornatissima)
スキューバダイビングをしたことがない人は、「一体全体、ウミウシって何?」って思うかもしれません。
ウミウシとは、要するに、海に住む殻のないカタツムリのようなものです。
見る者にとって嬉しいことに、ウミウシの多くは体に繊細な飾りがついていたり、色彩が美しかったりと、まるで才能豊かなアーティストの作品のようです。
(アンナウミウシChromodoris annae)
現時点で種として正式に認定されているウミウシは3,000種以上。ですが、正式な名前のない種がそれより多く存在していることは、ほぼ間違いありません。
熱帯の海から極域の凍えるような海まで、ウミウシは世界中のどんな海にも住んでいます。そのうえ、潮だまりのような水深の浅い場所から、何百、何千メートルといった深い海の底まで、どんな深さのところでも見ることができます。
(ミズタマウミウシ属Thecacera sp.)
ウミウシの形や大きさ、色や模様はさまざまですが、どの種にも共通しているはっきりした特徴がふたつあります。
ひとつ目が触角。体の前の部分からふたつ突き出しているのが、触角です。上の写真では、頭の部分に触角があるのがわかりますし、次の写真では、ゾウゲイロウミウシ(Hypselodoris bullocki)の触角を大写しにしたものをじっくり見てもらえます。
ウミウシはのんびり動いているか、あまり動かずにいることが多いのですが、辛抱強く観察していると、この触角を振っているところを見ることができます。もちろん、振り方はゆっくりとしたものです。触角を振るのは、周りの様子を探るため。人間が鼻でにおいをかいだり、舌で味を感じたりするのと同じです。彼らは触角のこの働きによって、餌を見つけていると考えられます。
ウミウシの体についているもうひとつの大切なパーツが、エラです。エラはたいていの種ではヒラヒラした形をしていて、体の後ろの方についています。
(ホシゾラウミウシHypselodoris infucata)
人間が肺で大気中の酸素を吸収するのと同じように、ウミウシはこのエラによって、水中の酸素を吸収しています。
でも、中には、ちょっと変わったウミウシもいます。ヒラヒラした繊細な形のエラの代わりに、こぶのようなものをニョキニョキと体から生やしていて、その部分で酸素を吸収しているんです。今回のコラムで最初に紹介した黄色とピンクのウミウシと、次の写真のフラベリーナ・ビラスFlabellina bilasが、そのタイプのウミウシです。
さあ、これでウミウシとはどんな動物かをわかってもらえたと思うので、この先は、彼らに関するもっと興味深い話をしようと思います。
この、一見すると害のなさそうな、動きののろい動物は、見かけとはまったく違う正体を隠し持っています。実は、彼らは貪欲なハンターなんです。
例えば、次の写真のトサカリュウグウウミウシ(Nembrotha cristata)は、小さなホヤ(ミドリトウメイボヤSigillina signifera)のコロニーを食べているところです。念のために説明すると、ホヤは動物の1種です。ということは、この緑と黒のかわいらしいウミウシは、肉食動物ということになります!
ホヤは体を動かすことができないので、ウミウシはホヤのこのような群体を見つければ、苦労せずにお腹いっぱい食べることができます。
でも、いつでもそんなに楽に獲物をつかまえられるとは限りません。
次の写真を見て下さい。これは何を写した写真だと思いますか?
僕はこの2匹のウミウシをずっと見ていたんですが、左にいる赤橙色のウミウシ(オオアカキヌハダウミウシGymnodoris aurita)は、右にいる薄茶色のウミウシ(ミドリハナガサウミウシ属Marionia sp.)を15分以上にわたって(のろのろとした動きで)追いかけ回し、ついには追いついて、相手を押さえこみ、ひと口ずつ飲みこんでいきました。もちろん、薄茶色のウミウシは食べられたくないので、逃げようとして必死でもがいていました。この写真はそのときの様子を写したもので、一方がハンター、もう一方が獲物、という2匹のウミウシによる生死をかけた戦いの記録です。
次の写真は、メリベ・ピロサ(Melibe pilosa)という名前の、やはり興味深いウミウシです。
右の方に、半透明の大きな部分があるのがわかりますか? 広げたパラシュートにちょっと似ている部分です。その部分の上の方を見ると、一対の小さな触角が生えているのがわかります。
奇妙な形をしたこのウミウシは、何をしているんでしょうか?
これは食事をしているところです。メリベ・ピロサは食事をするときに、頭と口を特大サイズに広げて、目の前の海底面に覆いかぶさり、そこにあるものを口いっぱいにほお張ります。その中に食べられるものが入っていれば、何でもかんでも食べてしまい、残ったかすを口から吐き出します。メリベ・ピロサはこの動作を、順序通りスローモーションで繰り返します。その様子は時を忘れて見入ってしまうほど魅力的です。
最後にもう1種、僕の一番のお気に入りとも言えるウミウシを紹介させて下さい。写真の左側がそのウミウシ、右側はその餌となる生物です。
このウミウシ(アオミノウミウシGlaucus atlanticus)は、あまり人の目に触れることがありません。その理由は、住んでいるのが陸地から遠く離れた外洋だから、ということもありますが、それ以外にも理由があります。
これまでに紹介してきた他のウミウシと違って、この種が住んでいるのは海底ではないんです。
彼らが住んでいるのは海面。おまけに、その暮らし方も一風変わっています。
海面といってもボートのように海の上に浮かんでいるのではなく、海面からぶら下がるように、お腹側を上にして水中に浮いているんです。つまり、海面の下側の面を「床」として使っているわけで、人から見ると常にさかさまになっているように見えます。
これがボートなら転覆です。ボート全体が上下さかさまに水中に浸かっていて、ボートの底の面が海面についているんですから。上からのぞいたら、水面と同じ高さにボートの底だけが見えている状態です。
変わっているでしょう?
変わっているのは、それだけではありません。
彼らが外洋に住んでいるのは、大好物のカツオノエボシ(Physalia sp.)を食べるためなんです。
カツオノエボシを一度でも見たことがある人は、きっとそのことをいつまでも忘れないと思います。カツオノエボシは群体(多数の個体が結合したもの)をつくる動物。つまり、上の写真に写っているのはひとつの個体ではなく、たくさんの個体が集まったもので、それらが、協力しながらひとつの個体として暮らしています。
上の写真を見ただけだと、カツオノエボシってきれいだな、と思いそうになりますよね。だまされてはいけません。
あの青と緑の部分には、刺胞がぎっしりとつまっているんです。刺胞のひとつひとつには、強力な毒がつめこまれていて、カツオノエボシは、その毒を使って獲物を捕らえます。ちょうど、クラゲが刺胞で獲物を刺して動けなくするのと同じです。カツオノエボシの刺胞に刺されると、人間は猛烈な痛みを感じるし、その痛みはなかなか消えてくれません。時には傷跡が残ったり、ごくまれに命に関わるアレルギー反応が起きたりすることもあります。刺されるとどうなるか僕が詳しく知っているのは、刺されたことがあるからです。それも5回も!
たいていの動物は、カツオノエボシが危険だとわかっているので、近づこうとしません。それなのに、アオミノウミウシは、そのカツオノエボシをわざわざ探して食べてしまいます。
「でも、刺胞に刺されて痛くないの?」と、不思議に思いますよね。
彼らは刺胞の毒も平気なんです。それどころか、あの刺胞を利用しているんですよ。
アオミノウミウシの写真を見て下さい。トゲトゲした飾りのようなものが体についているのがわかりますか? あの部分には、餌にしたカツオノエボシの刺胞がつまっています。
アオミノウミウシはカツオノエボシを食べるとき、刺胞の一部を吸収してヒレなどに貯めこみ、身を守る道具として使います。獲物の持っていた武器を、自分のものにしてしまうわけです。
武器の話が出たところで、話を冒頭に戻します。今回のコラムの最初の方で、僕は色についてお話ししていましたね。
ウミウシの仲間は、人間の目から見てかわいらしい姿をしているものが多いですが、彼らはもちろん、外見をかわいくするためにカラフルになっているわけではありません。あの模様や色やデザインは、他の動物に警告を与える役割を果たしているんです。
アオミノウミウシがカツオノエボシの刺胞を利用して自分の身を守るように、ウミウシの多くは、獲物から化学物質や武器を奪っておいて、危険が迫ったときにそれらを利用して身を守ります。
彼らの体の派手な色は、いわば警告。大声でこう叫んでいるようなものです。「僕を食べるなよ。食べたら後悔するぞ!」ってね。
ヒュプセロドーリス・イアクラHypselodoris iacula
トニー・ウー
もともと視覚芸術を愛し、海の世界にも強く惹かれていたことから、1995年以降はその両方を満たせる水中写真家の仕事に没頭する。以来、世界の名だたる賞を次々と受賞。とりわけ大型のクジラに関する写真と記事が人気で、定評がある。多くの人に海の美しさを知ってもらい、同時にその保護を訴えることが、写真と記事の主眼になっている。日本ではフォトジャーナリズム月刊誌『DAYS JAPAN』(デイズ ジャパン)の2018年2月号に、マッコウクジラの写真と記事が掲載された。英語や日本語による講演などもたびたび行なっている。
東京都出身。東京農工大学農学部卒業、同大学院修士課程修了。英日翻訳者。主にノンフィクション書籍の翻訳を行う。訳書は『RARE ナショナルジオグラフィックの絶滅危惧種写真集』(ジョエル・サートレイ著/スペースシャワーネットワーク)、『知られざる動物の世界9 地上を走る鳥のなかま』(ロブ・ヒューム著/朝倉書店)、『動物言語の秘密』(ジャニン・ベニュス著/西村書店)、『野生どうぶつを救え! 本当にあった涙の物語』シリーズ(KADOKAWA)など。
翻訳協力:株式会社トランネット