vol.3
写真家トニー・ウーさんの「トニーと海の物語」第3回です。蒸し暑い熱帯地方の夜、静まり返った海底の闇の中にトニーさんが一人降りて行きます。そこで一体何を見たのでしょうか。私たちは目の前にいる生き物たちのことを誤解しているのかもしれません、そうトニーさんが語りかけます。「見かけは当てにならない」とのことですが、まずは今回の写真をじっくりとご覧ください。そしてトニーさんの声にそっと耳を澄ましてみてください。
11月、熱帯の夜は9時を過ぎても蒸し暑い、インドネシア東部にあるアンボン島。
珊瑚礁(さんごしょう)の夜の住人を写真におさめたくて、僕は水中カメラと水中ライトを持って海に入りました。
珊瑚礁ではさまざまな種類の動物が共存しています。映画『ファインディング・ニモ』の主人公カクレクマノミのように、昼間に活動する動物もいれば、カニやタコなどの夜行性もいます。
何か面白い生物はいないだろうか。30分ほど海中を探索した頃は水深15メートル。黒っぽい火山砂の海底は闇の静けさに包まれ、泳いでいるのは僕しかいません。
と思っていたら、ふと、誰かの視線を感じました。「ほかにも潜ってる人がいるんだな」
そのときです。
突然、潜水マスクの前にぬっと現れた巨大生物……。
「ギャッ!」僕は思わず悲鳴をあげました。
こんなに大きなハニカムモレイ(ウナギ目ウツボ科 学名Gymnothorax favagineus)がいる?!
ウツボがニヤッと笑いました。
僕はまた少し悲鳴をあげました。
ウツボが潜水マスクにキスをしてくれました。
僕たちは友だちになりました。
ウツボはたくさん見てきましたが、このバーニー(僕が名付け親)の大きさはずば抜けています。
この種類は長さ3メートルぐらいまで大きくなりますが、それは稀で、普通はもっと小型です。世界の海に広く分布し、隠れ家になる巣穴も浅瀬から、水深45メートルぐらいまであるので、スキューバダイビングをする人はあちこちでウツボを見かけます。
ただ、昼間はたいてい岩陰や珊瑚礁に潜んでいるので、見えるのは頭や胴体部分が少しだけ。
バーニーを全身まるごと見た僕は衝撃を受けました。体長3メートル、首の太さは僕の太ももの2倍! そんなのが真夜中に忍び寄ってきて、体を絡めるようにすり寄ってきたのです!
ウツボって、イメージ悪いですよね。ヘビみたいに長くてニョロニョロしていて。
ヘビはみんなが怖がりますから、似たような形のウツボも自動的に、怖いとか不気味とか感じます。
でも、それって偏見(へんけん)ですよ。かわいそうでしょ、ウツボもヘビも。
知ってますか? ウツボも魚の一種なんです。ああいう長~い体なのは、餌を獲るとき都合がいいからで、岩や珊瑚礁の狭苦しい隙間とか小さな穴にいる小魚などを探しやすい体型になっているわけです。
鋭い歯を持っていますが、餌を捕まえるときと、身の危険を感じたとき自己防衛に使う程度で、積極的に自分から人間にかみつくことはありません。
バーニーもそうですが、ウツボはよく口を開けたり閉じたりします。人はこれを、襲いかかってきそうで怖いと思いがちですが、それは誤解です。
ウツボが口を開けるのは威嚇(いかく)のためではなく、呼吸するためというのが真相です。
ウツボは鰓(えら)呼吸の魚類なので、水から酸素をもらいます。口を大きく開けて水をたくさん吸い込み、鰓で酸素を取り込んで、二酸化炭素を捨てる。
僕たち人間は肺呼吸、空気を肺に吸い込んで酸素を取り込む、仕組みは同じです。
普通にのんびり呼吸している魚を、怖がる理由が何かありますか? 全然ないと思いませんか?
あなたが水族館に行って、下の写真のように大口を開けて鋭い歯を見せているウツボを見たら、呼吸のためなんだよと、家族や友だちにも教えてあげて下さい。
バーニーと出会って悲鳴をあげた日から1週間以上、僕は毎晩9時頃になると彼に会いに行きました。出会いの場所に近づくとすぐにバーニーが闇の中から現れ、僕について来て、魚の死骸や手頃な餌を見つけては食べます。巨大なウツボなので、おなかが空くのでしょう。
ちなみにバーニーのような人なつっこいタイプは、それほど珍しいわけではありません。ウツボと仲よくなったダイバーの話はたくさんあります。
また、ウツボはハタ科の魚と協力して餌を獲ることが、科学者やダイバーたちから報告されています。
生まれながらに協調的な性質を持っているのかもしれませんね。
僕は毎晩バーニーとのデートをとても楽しみにしていました。大げさではなく。
一緒に海底や岩陰を調べ回って、彼は餌を探し、僕は写真の材料を探します。
バーニーはときどき、僕が何をしているのかのぞきに来ます。
撮影するのと食べるのとどっちが大事か、なんて議論にならなくて幸いでした。いつも空きっ腹を抱えている彼が勝つに決まってますから。
明日は帰国という夜、僕はさよならを言いたくて会いに行きました。
案の定、バーニーは飛んできました。ニタニタ顔で。
この愛くるしいウツボから僕は何を学んだだろう、と考えました。
いちばん大事なのはやはり、見かけで判断してはいけないということ。
最初は、真夜中に大蛇(だいじゃ)のような動物に不意打ちを食らって肝を冷やしましたが、実際には愛情豊かで、なんともユーモラスな、一生忘れ得ぬ友だちができました。
トニー・ウー
もともと視覚芸術を愛し、海の世界にも強く惹かれていたことから、1995年以降はその両方を満たせる水中写真家の仕事に没頭する。以来、世界の名だたる賞を次々と受賞。とりわけ大型のクジラに関する写真と記事が人気で、定評がある。多くの人に海の美しさを知ってもらい、同時にその保護を訴えることが、写真と記事の主眼になっている。日本ではフォトジャーナリズム月刊誌『DAYS JAPAN』(デイズ ジャパン)の2018年2月号に、マッコウクジラの写真と記事が掲載された。英語や日本語による講演などもたびたび行なっている。
奈良県出身、大阪外国語大学フランス語学科(現・大阪大学外国語学部)卒業。翻訳家。エンタテインメント小説を中心に、サイエンスや社会派の月刊誌記事など出版翻訳が多い。一般の技術翻訳や、編集にも携わる。訳書は『愛と裏切りのスキャンダル』(ノーラ・ロバーツ著/扶桑社)、『女性刑事』(マーク・オルシェイカー著/講談社)、『パピー、マイ・ラブ』(サンドラ・ポール著/ハーレクイン)、『分裂病は人間的過程である』(H.S.サリヴァン著/共訳/みすず書房)、『レンブラント・エッチング全集』(K.G.ボーン編/三麗社)ほか多数。