vol.2
写真家トニー・ウーさんの「トニーと海の物語」第2回です。今回も、生き物たちの鼓動が聴こえてきそうな、ほんの少し指を伸ばせばそこに触れられそうな、そんな気持ちにさせてくれる写真と文章です。海の中は私たちの知らない不思議な出会いで満ちています。知的でユーモラスで人なつっこく、好奇心旺盛でとても表情豊かなアシカくんとトニーさんとの交歓。海の森の中で起こった一期一会をお楽しみください。
この写真は若いオーストラリアアシカ(学名 Neophoca cinerea)です。
この子がなんと、僕にプレゼントを持って来てくれたのです!
くわえられている小さな魚は悲しそうな顔をしていますが、大丈夫、安心して最後まで読んで下さいね。
僕はこのアシカの種類に会いたくて、数年前にオーストラリアに行きました。
オーストラリアアシカは本当にかっこいいんですよ。光が当たると被毛が銀色や金色に輝きます。 大人のメスは体長がおよそ1.8メートル、体重は105キロ、オスははるかに大きくて体長2.5メートル、体重は300キロにも達します。目は大きくて表情豊か、耳は小さくてかわいく、ヒゲはとても長くて立派。ひれ足動物(鰭脚亜目/ききゃくあもく)はみんなそうですが、このオーストラリアアシカも活動的で、人なつっこく、そうとうオチャメなタイプです。
ただ、海の中での仕草を写真に撮るのが難しい。動作が機敏で泳ぎは猛スピード、しかも注意散漫で興味の対象がコロコロ変わりますから。
こういう海の哺乳類の集団と接すると、犬好きの僕はラブラドル・レトリーバーの子犬たちと遊んでいる気分になります。片時もじっとしていないので、ついていくのがたいへん。こっちは泳いで泳いで、ひたすら泳ぐしかありません。
写真のアシカくんと僕はその日、浅瀬で泳ぎ回って遊んでいました。
1時間ほどたった頃に、彼がいきなり猛ダッシュで離れていきました。僕が必死で追いかけることはすでにわかっているはずなのに、こっちをちらちら振り向き、ついてきているか確かめている様子です。
彼は海底をすいすい泳ぐうちに、急ブレーキをかけて海藻の茂みに頭から突っ込みました。次の瞬間には顔を上げ、くるっと回れ右。口に魚をくわえています。得意満面で戻ってくると、そのショウズカウフィッシュ(イトマキフグ科 学名 Aracana aurita)を僕に差し出しました。
プレゼントをあげるというアシカくんの姿を数枚写真に撮ってから、僕は身振り手振りで答えました。「おやつはいらないよ。その子をくわえる気はないから」
それが伝わった証拠に、彼は魚を放して困ったような面持ちで僕を見つめました。「どうしたの? 何か気にさわった?」。つれない仕打ちをされたと思ったのでしょうか。
カウフィッシュはチャンスとばかりに逃げ出すと、アシカくんは見事な早業でつかまえてまた僕に差し出しました。
僕も「いらない」と繰り返しました。
「ウソでしょ??」
そんなやりとりの隙に、魚は死に物狂いで暴れて逃げ出しました。でも、またあっけなくつかまり、僕の目の前に差し出されたときにはもうぐったり。
「どんなに美味しくても、その子を食べるなんて絶対しないから」。僕は大げさな身振りでそう伝えながら、あきらめてくれない彼の気をそらせないだろうかと考えました。
試しに宙返りを数回してみせると……。
やったー、大成功! 息も絶え絶えのプレゼントはペッと吐き出されました。
僕は水中でくるくる回っては、海藻の茂みをほじくってみました。
好奇心旺盛(おうせい)なアシカくんはもう、挙動不審(きょどうふしん)な僕のことしか眼中になく、何をやってるの?とのぞきに来ました。
その瞬間、「ちょっと待てよ……」って顏で僕を見つめ、カウフィッシュを吐き出した場所を振り返り、あっと気がつきました。「だまされた!」
彼は一瞬でさっきの場所に戻ったけれど、プレゼントはとっくに海藻の森に消えています。彼は一帯をしらみつぶしに調べたあと、あきらめ、ムッとした感じで僕を無視。
でも、ちょっと宙返りしてみせたら即刻とんできて、また一緒に遊んでくれました。
あの海底のどこかに、僕のことを命の恩人だと思っているカウフィッシュが1匹いる、というお話でした。(^o^)
オーストラリアアシカって、ほんとにかわいいでしょう?
でも、絶滅危惧種(ぜつめつきぐしゅ)に入っているのですよ。
つまり、このままいくと絶滅するだろうということ。
オーストラリアにしかいなくて、生息数がどんどん減り続けています。最新の公式発表によると1万頭から1万2千頭、3世代38年ほどの間に60%も減りました。今現在も減り続けているはずです。
どうしてこんなことに?
こういう「種の保存」の問題はたいていそうですが、原因がよくわからないのです。いくつもの原因が複合的に影響しているから。
オーストラリアアシカの場合も、18世紀から20世紀の初め頃まで人間が乱獲(らんかく)し、肉や毛皮や脂肪を利用していました。その結果、アシカの数が減ったばかりか、生息できる安全圏も狭まったためにコロニーが離ればなれになり、それぞれが孤立してしまいました。
最近では生息環境の悪化とか、釣り糸や漁網が絡まる事故死なども大きな問題になっています。
おまけに子どもが育ちにくくて、大人になるまで生きられない子が多いのです。病死や自然死もありますが、餌不足も一因でしょう。
絶滅危惧種とわかっているにもかかわらず、生息数は減り続けている。
これほど知能が発達していて遊び好きで、ずば抜けて魅力的なこのオーストラリアアシカが、もし本当に絶滅したらどんなに悲しいことでしょう。
トニー・ウー
もともと視覚芸術を愛し、海の世界にも強く惹かれていたことから、1995年以降はその両方を満たせる水中写真家の仕事に没頭する。以来、世界の名だたる賞を次々と受賞。とりわけ大型のクジラに関する写真と記事が人気で、定評がある。多くの人に海の美しさを知ってもらい、同時にその保護を訴えることが、写真と記事の主眼になっている。日本ではフォトジャーナリズム月刊誌『DAYS JAPAN』(デイズ ジャパン)の2018年2月号に、マッコウクジラの写真と記事が掲載された。英語や日本語による講演などもたびたび行なっている。
奈良県出身、大阪外国語大学フランス語学科(現・大阪大学外国語学部)卒業。翻訳家。エンタテインメント小説を中心に、サイエンスや社会派の月刊誌記事など出版翻訳が多い。一般の技術翻訳や、編集にも携わる。訳書は『愛と裏切りのスキャンダル』(ノーラ・ロバーツ著/扶桑社)、『女性刑事』(マーク・オルシェイカー著/講談社)、『パピー、マイ・ラブ』(サンドラ・ポール著/ハーレクイン)、『分裂病は人間的過程である』(H.S.サリヴァン著/共訳/みすず書房)、『レンブラント・エッチング全集』(K.G.ボーン編/三麗社)ほか多数。