相馬美保さん(前編)|華やかで多彩な表現が可能なリュネビル刺繍。その豊かな時間を暮らしに

相馬美保さん(前編)|華やかで多彩な表現が可能なリュネビル刺繍。その豊かな時間を暮らしに

名だたるメゾンのドレスを美しく形づくってきたフランス伝統のオートクチュール刺繍は、専用のカギ針を使用したリュネビル刺繍と呼ばれる技法が代表的です。2020年春に出版された『はじめてのオートクチュール刺繡』で監修を務めた「Apollon(アポロン)」の代表、相馬美保さんのアトリエを訪ね、お話を伺いました。前編・後編の全2回にわたりお届けします。

撮影:奥 陽子 取材・文: 酒井絢子

オートクチュール刺繍の定期レッスンを行うApollonのアトリエは、閑静な住宅街にある一軒家。灯りをつけずとも柔らかな光が射し込み、ビーズやスパンコールを使用した刺繍作品が優しくきらめきます。


▲レッスンや制作を行うアトリエ。こぢんまりとしていながらも、天井が高く開放的で心地よい。

リュネビル刺繍はとても緻密で繊細な作業なので、相馬さんお一人が指導をする際に生徒さんは3人程度が最大なんだそう。「生徒さんはほとんどが仕事を持った女性で、リュネビル刺繍をかけがえのない趣味として楽しんでいらっしゃいます」と相馬さん。

 

リュネビル刺繍は自由で芸術的な手仕事

壁際に置かれた「メティエ」という本格的な脚つきの刺繍枠には、相馬さんが「Ecole Lesage(エコール・ルサージュ)」で学んだというフルーツバスケットの課題作品が飾られていました。ルサージュは本場フランスで最も有名な手工芸の学校です。


▲相馬さんが制作したルサージュの課題作品。フランスに2週間ほど滞在した際に受講し、 30時間のレッスン+宿題で仕上げたそう。

一般的な刺繍とは一線を画す、華やかで立体的で生き生きとしたモチーフ。色数の豊富さや糸の種類にも驚かされます。


▲目を見張るほどの多くの技法が盛り込まれている。この課題は1から8まであるルサージュのトレーニングシリーズでは1つめのもの。

「リュネビル刺繍はとても自由な刺繍。絹糸も使えばウール糸も使うし、ビーズやビジュー、スパンコール、それに天然素材のラフィアを用いることも。そこがすごく面白くて、魅力的なんです」

ご家族の影響で小さな頃から刺繍は好きだったという相馬さんがリュネビル刺繍に出会ったのは、15年ほど前。とあるオートクチュール刺繍教室の折り込みチラシに心惹かれたのがきっかけで、その教室に通うようになりました。それからインド式のアリワークやフランステイストの刺繍など、多彩な技法に触れ、オートクチュール刺繍の世界の奥深さに魅せられていきます。


▲アトリエには相馬さんが刺繍デザインと制作を刺繍ユニットLemmikkoさんに依頼した作品も。リュネビル刺繍、インド刺繍のアリワーク、原毛を用いた針刺繍と、多くの刺繍技法と素材が盛り込まれている。


▲壁に飾られているのは、今年に入ってアトリエにお迎えしたという六條えみさんの絵画。相馬さんご自身も六條さんの作品からパワーをもらうそう。

 

簡単に布が張れる刺繍枠があったら

オートクチュール刺繍ではシルクオーガンジーなどの繊細で高価な生地を使用するため、刺繍枠に布を張るのにもテクニックが必要。もっと簡単に布が張れて、見た目もおしゃれでコンパクトな刺繍枠があれば・・・と相馬さんは考え始めます。


▲「カンティーユ」という金糸を使用したルサージュの課題作品。アトリエ内にさりげなくディスプレイされている。

「当時は市販の丸い刺繍枠や、四角い刺繍枠も使っていたんですけれど、何しろ重たくて持ち運ぶのも大変ですし、布を張るのにも非常に時間がかかったんですよね。タコ糸で留めつけたり、縫いつけたり・・・。布を張るだけで30分から1時間くらい費やしました」

自らの体験をもとに、より使いやすく小ぶりな刺繍枠の開発に着手することになります。

 

本場フランスの職人技を、日本の暮らしの中に

「多くの女性の暮らし方って、時間が細切れだと思うんですよね。毎日毎日、あれしてこれして・・・って。そんな忙しい女性でも気軽に使える刺繍枠があったらいいんじゃないかと思いついたんです」

思い立ったら吉日。出身地である静岡で、知人の木工職人らと共に試行錯誤をくり返し、ついに卓上の刺繍枠を完成させたのです。この刺繍枠を携えて、なんと相馬さんはパリで開かれる「Aiguille en Fete(レギュイユ・オン・フェット、針の祭典)」に出展。フランスの手芸愛好家たちからも絶賛される刺繍枠となりました。


▲Apollon製の卓上角枠「Urd(ウルド)」。短時間で生地を張ることができ、手軽にリュネビル刺繍を楽しむことができる。フランス刺繍やインド刺繍のアリワークなどにも役立つ。(「Urd」は商標出願中 意匠登録第1530331号)


▲生地は、枠の溝にローラーを使ってゴムで埋めることで留められる。丸い枠と違い、四角く張るので布目の歪みが少ない。生地を張り終えるまでわずか2、3分。

相馬さんが不定期で通うフランスのルサージュでも、コンパクトで美しいフォルムの「ウルド」は関心の的となったそう。ただ、ルサージュに通うようなフランスの生徒さんは刺繍を生業とする職人の卵たち。たとえ小さなモチーフでも大ぶりで本格的な刺繍枠「メティエ」を使い、課題に向き合います。そのため、あくまでも趣味としてリュネビル刺繍を親しむ日本人がいるということ自体に驚く人も多いのだそう。


▲手前にあるのが、リュネビル刺繍針が柄にセットされた道具「クロシェ」。その針先には、美しいバロックパールのキャップが。伊勢の職人に依頼して18金とシリコンで仕立てたというApollonオリジナル。


▲アトリエ内の収納庫には、さまざまな材料たちが透明ケースに整理され、必要なときにすぐ取り出せるよう収められている。


▲相馬さんお気に入りのビーズやスパンコール。すべてフランスのもの。リュネビル刺繍では、材料が糸に通ったものを使用する。

趣味としてリュネビル刺繍を親しむ日本人がいるとはいえ、ほかの刺繍に比べると、リュネビル刺繍は認知度が高いわけではありません。「オートクチュール刺繍は、ファッション業界に関わる人やファッションやジュエリーに強い憧れがある人が始めることが多いみたいです。一般の刺繍好きの方とは入り口が違うのかもしれません」という相馬さん。


▲2017年に1号目、2019年に2号目と、相馬さんが企画し、Apollonが出版した『CROCHET DE LUNÉVILLE』。刺繍枠などの道具の紹介やテクニックに加え、全国各地のオートクチュール刺繍作家の作品や教室についても多く紹介されている。フランス・英語版も作成。


▲カラフルなアジサイのブローチは、面の部分をひたすらチェーンステッチで埋めていくので初心者向けだそう。奥にあるのは、京都・糸六さんによるApollonプロデュースの正絹糸。

目にするだけでも魅力的なリュネビル刺繍ですが、より深く知るには実践あるのみ。記者も相馬さんから基本のやり方を特別にレクチャーしていただくことに。体験してみると、一般的な手刺繍とはまた違う面白さに、インタビューそっちのけで夢中になるほどでした。

後編では、相馬さんが監修した書籍『はじめてのオートクチュール刺繡』にまつわるお話や、記者によるリュネビル刺繍の初体験レポートをお届けします。

 

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