更新日: 2020/01/30
金属の糸を用いる英国の伝統刺繍「ゴールドワーク」の技術を生かしながら、独自の立体アート刺繍を発表している倉富喜美代さん。今年1月には『女王陛下が愛した、イギリスの伝統刺繡 ゴールドワークの小物たち』を上梓しました。アトリエを訪ねてお話を伺ったロングインタビューを、前編・後編にわたってお届けします。
撮影:奥 陽子 取材・文: 酒井絢子
刺繍作家である倉富さんのアトリエには、ご自身の作品をはじめ、アンティーク小物など惹きつけられるものがいっぱい。一つひとつについて詳しくお聞きしたくなるほど個性的で素敵なものが並んでいますが、お部屋全体は心地よくまとまっていて凛とした空気さえ漂います。
▲グリーンの壁が目をひく南向きのアトリエ。要素が多い空間にも、統一感を持たせることを目標にしているそう。
お母様の影響で幼少期から布地や手芸に触れてきたのが倉富さんのルーツ。
「母の専門分野は洋裁でしたが、つくれないものは靴しかないっていうくらい手先が器用で。家には布地が溢れていて、端切れをもらったら私もミシンを踏んで、お人形の服とかつくったりしていましたね」
▲いつも11時にはデスクで作業を始めるようにしている、という倉富さん。このライトは「赤い糸の色の発色がよくわかる優れもの」なんだそう。
ミシンだけでなく手縫いにも親しんだのかと思いきや、「実は刺繍が嫌いだったんです…」と小さな声。
「ここにこの糸を刺しなさい、とか、このデザインでこの色を使いましょう、っていうのが、どうしても合わなくて。それで私は刺繍が向いていないなって思ってしまったんですね。どちらかというと適当に布を繋いでいったりする方が好きでした」
そんな倉富さんに大きな転機が訪れたのは、ご主人の海外赴任による二度の渡英でした。一度目の滞在時は、宝物探しをするようにアンティークショップを巡ったり、ヨーロッパのあちこちに旅行をしたり。そんななかで額縁作家の先生に出会います。
▲ピンセットは工具用を愛用。小さな金糸を微妙に動かすのに使ったり、鋭角に曲げたりするのに使ったり。道具は使いやすいことを最も重要視しているので、見た目の良さにこだわることはないそう。
▲グリーンが好き、という倉富さん。円錐型のランプはアンティークのもの。その下の小引き出しには、ゴールドワーク用の糸が収められている。
「先生はロンドンで額縁制作を学んだ方で、日本でもお教室を開いていたり、個展も積極的に開催していたり。間近でその高い感性とものづくりの素晴らしさを教えてもらいました。それで二度目のイギリス滞在時に、私も何か手を動かすことに挑戦したいと、英国王立刺繍学校に通い始めたんです」
▲クリスマスボールにゴールドワークの王冠をあつらえた。「手仕事が加わると、ぐんと愛おしさが増すでしょう?」
刺繍は苦手だったというのに刺繍学校へ…?と疑問が湧きましたが、倉富さんの動機は意外なものでした。
「学校がハンプトン・コート・パレスの中にあったんです。こんな素敵な場所に通えるんだったら、きっと楽しいだろうし、いい思い出づくりになるかなって。まったく不純な動機です(笑)」
▲額装されているのは、イギリスでも一緒に暮らした愛犬リキくんをモデルにした刺繍。アニマルシェーディングというテクニックを習いながら制作したもの。
刺繍学校でのカリキュラムは、伝統的な技法やパターンを組み込みつつ、生徒が各々図案を起こして刺していくというもの。そこで自由に発想する刺繍を体験し「こんな刺繍があるんだ!これは楽しい!と思ったんです」と倉富さん。
「10人のクラスだったら10人の全く違った作品ができ上がって。クラスメートの作品を見るのも楽しくて刺激的でした」
レッスンの中でも、倉富さんがその素材の面白さに惹きつけられたのが、中世の時代から特権階級の衣装や装飾品として愛され続ける伝統刺繍・ゴールドワーク。金属のコイルになった糸をカットしミシン糸で留めつけて表現する、独特の技法です。
▲初めて触れる素材に心が躍ったという、倉富さん最初のゴールドワーク作品。手芸雑誌の表紙を飾ったことも。
「伸ばして留めつけたり、切って竹ビーズのようにしたり。大きな特徴はカーブがつけられることですね。もちろん、糸がキラキラときらめき、年月と共に色がくすんで落ち着いてくるのもゴールドワークの魅力です」
▲靴の装飾やヒールのなめらかな曲線を、メタル糸や金糸をふんだんに使って表現している。
「ゴールドワーク」といえば厳かで格調高いイメージがあるけれど、現在の倉富さんの作品はアーティスティックでユニークで、見れば見るほど愛おしくなるようなデザインです。
「刺繍学校を修了して帰国した後も、手を衰えさせたくなかったので、常に何かをつくっていました。でも伝統的なゴールドワークをそのままやるのは自分の中で違うかな、と思って。トラディショナルなものを土台にしつつ、自分のテイストを表現していきたいと思うようになったんです」
▲帰国後の展覧会に出展した作品。額は額縁教室でつくった倉富さん作。
帰国して最初に開いた展覧会では、その方向性に手応えを感じたといいます。「そこから10年くらい、不思議なものや立体刺繍のオブジェなど、好きな素材を集めては、自分がつくっていて楽しいものをつくり続けています」
▲イギリスから取り寄せているというゴールドワーク用の糸は、酸化しないよう一つひとつパラフィン紙に包まれている。
倉富さんの作品には、アンティークのリボンやビーズ、ベルベットや柄物の生地など、異素材が組み合わされているものが多くあります。「いろいろな材料を使うので、ストックはいっぱいあります。ゴールドワーク以外の部分の糸も刺繍用の糸にこだわることなく、面白い表情が出るものを選んでいます」
▲ヨーロッパに行くたびに買ってくるというアンティークリボン。紗がかかっていたりスモーキーな色目だったり…、なんともいえない魅力がある。
▲難易度が高いため著書には掲載されなかった、襟をモチーフにした作品。「襟から発想を広げてシリーズ化してみたくて」と倉富さん。
枠にとらわれない倉富さんらしさがあふれた作品は、素材使いの妙も注目ポイントです。 後編では、著書『女王陛下が愛した、イギリスの伝統刺繡 ゴールドワークの小物たち』制作時のエピソードや、現在の活動についての話をお届けします。
倉富喜美代
刺繍作家。2003年より英国王立刺繍学校(Royal of Needlework)にて伝統刺繍を学ぶ。帰国後、制作活動を続けながら、2008年よりカルチャーセンターや少人数制のレッスン、ワークショップなどで、指導活動を行う。ゴールドワークの伝統的技法をベースにした、遊び心たっぷりの作品を制作。個展・企画展でKIMIYO WORKSとして発信している。2020年1月に『女王陛下が愛した、イギリスの伝統刺繡 ゴールドワークの小物たち』(日本文芸社)を出版。
インスタグラム:@kimiyo_works