Koyun由紀子さん(後編)|キリムを織る時間。それは糸と触れ合って“無”になれるひととき。

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Koyun由紀子さん(後編)|キリムを織る時間。それは糸と触れ合って“無”になれるひととき。

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前編ではKoyunさんのキリムとの出会いについてお聞きしました。後編では日本での活動や著書についてお話を伺います。

撮影:奥 陽子   取材・文:庄司靖子  撮影協力:Ladybug

今年10月に『はじめての、小さなキリムと小物たち』を上梓したKoyun(コユン)由紀子さん。トルコでキリムの技術を習得し、帰国後の1998年、Koyunさんは自宅で数人にキリムを教え始めました。それは現地の糸を使い、大きな木枠で織る、というものでした。

 

グァテマラ大使館の依頼が教室の原点

それから1年ほど過ぎた頃、グァテマラ大使館から連絡が入ります。川崎の市民会館でグァテマラの織物を教えてもらいたい、という内容でした。

「6回の講座で、30~40人に教えるという企画だったのですが、グァテマラの織物は無理だと思いました。柱がないし、糸は細いし、どう考えても難しいと」

そこで、「キリムはどうですか」と提案。「それまで私は大きいものしか織ったことがなかったけれども、小さい木枠を使ってできるかもしれないと考えたんです」

そしてこのときの6回講座で、小さい木枠を選び、タテ糸を張るところから1枚を織りあげるまでを教えたのが、現在の教室の原点となりました。


▲6回講座のために選んだ小さめの木枠はその後教室でも使うようになった。

「川崎の講座を受講してくれた生徒さんのうち10人くらいの方から、続けたいという要望があったんです。その頃私はフルタイムで働いていたので、どうしようか迷いました」

でもそのとき、生徒さんの一人から「一生続けていきたい趣味を見つけました」と書かれた手紙が届きます。

「一生続けていきたい、と思ってくれる人がこの世に1人でもいるんだったら、やる価値があると思ったんです。その言葉に押されて、土曜日に教室を始めたのが、今の活動のスタートです」

そして2019年。その教室はついに20周年を迎えることとなったのでした。

 

作品づくりは達成感が一番大事

なぜ20年もキリムの教室を続けてこられたのか、その秘訣を伺いました。

「川崎市から6回講座を頼まれたとき、細い糸でやるのは無理だとわかっていました。タテ糸の間隔も狭くなり、とても時間がかかるからです。そこで、太い糸を使えばいいのではないかと思って太めの糸を探し出しました」


▲教室用に準備しているオリジナルの糸。元々キリムは草木染めの糸を使用するものなので、素朴な色合いが多い。

太い糸は、誰でも指で織ることができ、目があまりよく見えなくても織ることができるといいます。また仕上がりの速さも3倍以上に。講座のあとに始まった教室でも太い糸を使うことにしました。

「私は、作品づくりは達成感が一番大事と思っています。ある程度の時間で達成する、次の作品も達成できる、と、達成し続けることを大事にしたい。大きいものをちょこちょこと織っても、終わるのは何年後だろう、と思ったら飽きてしまいますよね。それではもったいないので、1~2回、もしくは3回ででき上がる、というように仕上がりまでのスパンを短く、達成感を得られるようなカリキュラムにしていったことが長く教室を続けてこられた秘訣だと思います」


▲教室では絨毯織りも教えている。トルコ結びのサンプル。

 

太めの糸は初心者でも織りやすい

著書『はじめての、ちいさなキリムと小物たち』でも、太めの糸が使われています。これは現地の糸の3倍くらいの太さなので初心者でも織りやすく、丈夫なので敷物にも適しているそう。


▲著書ではキリムの基礎知識、モチーフの数々や織り方を紹介。「教室を始めて20周年を機に、キリムの魅力を本にまとめたいと思っていました。特に見ていただきたいのは巻末のオールドキリム。遊牧民が遺してくれた素晴らしいデザインや配色に注目してください」


▲小さな木枠と、トルコのキリムよりも太い糸を使うことで、タテ糸の間隔も広くなり、早く織りあげることができる。

実は著書を制作する際、糸探しが最も苦労したところだとか。

「この本を見て織りたいと思っても、糸が手に入らないのでは意味がないですよね。そこで、誰でも手に入る糸を探したのですが、どうしても見つからなくて。糸の感じはよくても色が合わなかったり、その逆だったり。結局、教室で用意している特注の糸を一般に販売できるようにしました」


▲著書の発売に合わせて制作したスターターキット。木枠とオリジナルの糸がセットになっているので、キリムを気軽に始めることができる。Koyunさんのホームページ、Kilim Koyunでも購入可能。


▲スターターキットでコースターを6枚織った余り糸と切り落としたタテ糸でつくったタッセル。「遊牧民の袋物などにはよくタッセルがついているんです。飾りでもありますが、糸端をすべて利用し、無駄を出さない、という精神の表れなんですね」

著書では手芸店やWEBでも購入できるDMCの糸で織った作品も紹介。こちらは糸が細い分、完成品も小さくなります。


▲キリム織りのブローチとチャームは細い糸を使用。塩袋やおんぶひものミニチュアで、Koyunさんもお気に入りの作品。


▲教室ではコースターのような小さい作品は最初の体験で1回だけつくり、次に進む。生徒さんの中にはたくさんつくって友達にプレゼントする人も。

 

新しい発見もあったキリムのモチーフ

モチーフの種類を紹介するため、限られた時間の中でたくさんのキリムを織る作業は大変だったのではないでしょうか。

「ここ数年は、なかなか時間が取れなくて織ることができなかったんです。普段全然織れていないのに、掲載用に作品をつくらなくてはならなくて、それがとてもプレッシャーでした。でも、大変だけれど織るのはやっぱりとても楽しかった。飛行機や船の中で織ったりもしました。土日は木枠を持って子どもを公園に連れていき、遊ばせている間に織ったり、海を見ながら織ったりもしました。外で織るのは本当に気持ちよくて楽しい時間でした」


▲著書のために織った作品たち。「この小さなサイズでモチーフを図案化するために、たくさんキリムの本を開いて、適したモチーフを探しました」

紹介したモチーフを調べているときにはこんな発見も。

「プトラックというモチーフ、日本では“ごぼう”となっていて、なぜなのかずっと不思議に思っていました。そこでいろいろな文献を当たり調べていったら、オナモミ(ひっつき虫)という植物だったことがわかったんです。きっと、トルコ語を英語に訳し、それを日本語に訳したらごぼうになってしまったんですね。今回は正しいモチーフの名称がわかり、よかったなと思います」

モチーフの意味を解説するにあたり、トルコの文化省が発行しているモチーフの本を翻訳し、その中から抜粋しました。

「知っているつもりでも、調べるたびに新しい発見がありました。モチーフについてはもっと勉強したいと思っていたので、とてもいい機会でした」


▲クラッチバッグとサコッシュ。遊牧民の袋物はほとんど1枚のキリムからできていて、表面と裏面が違った表情になるように織っていく。

 

キリムを織ること自体が豊かな時間

中央アジアに生きる遊牧民の暮らしに根づいたキリム。私たち日本人の暮らしのなかではどんな楽しみ方があるのでしょうか。

「コースターなどはたくさんつくってプレゼントにしてもいいですね。小さなものだと短時間で仕上がりますし、単純なストライプでも自分で織ったものは格別です。大きいもの、例えば敷物はそれだけで部屋の模様替えにもなります」


▲香り袋ともいわれるサシェ。1枚織って袋に仕立てている。アクセントの小さなタッセルがかわいらしい。

実用性を考えるとどう使ったらいいかがつい気になってしまいますが、キリムを織ること自体が豊かな時間だとKoyunさんは言います。

「大きなものをつくるとなると、時間をかけて織りますよね。その時間は当時の遊牧民たちと同じことをしているような気がします。昔も、織りの時間は、忙しい家事の合間に自分だけのものをつくり出す、楽しいひとときだったと思うんです。そんな時間を現代でも持てるわけですから、豊かな時間ですよね。糸と触れ合って“無”になれるひとときだと思います。しかも仕上がりにあまり良し悪しがないのもいいところです」


▲特に気に入っている作品は右のピンクッション。この小さな作品の中に、現地の袋物の技法が入っている。中には余り糸を詰めているので無駄がない。左のヘアアクセサリーはお守りのように身につけたいアイテム。


▲遊牧民の赤ちゃんのおんぶひもをミニチュアにしたブローチ。三角にはお守りや魔除けの意味があるため、赤ちゃんを守る祈りにつながっている。


▲マグカップウォーマーはカップに巻いて結んで使う。流れる水のモチーフは、永遠の命を表している。

 

配色も含めて伝承していくのがキリム

ひとつ疑問に思っていたことを尋ねてみました。それは、キリムはその特徴である柄(パターン)を使えば好きな色で織ってもよいのかということ。

「キリムは伝承です。伝承ということは、誰でもできるということ。逆に言うと、色や模様を自由にすると、それはキリムではなくなってしまうと思うのです」

キリムのデザインは部族や家系のシンボルとしての伝統があるため、モチーフや配色のパターンが決まっており、図案はなく、母や祖母が織ったものを見本に、織られてきたそう。それが“伝承”です。


▲著書で紹介した小さなアイテムも、伝統的なキリムの配色を踏襲している。

「日本だと、みんなと同じじゃつまらない、自分なりの色を出したい、と思う方もいます。そのため私の教室でも中級クラスまでは色は自由にしています。自由にすることで、あえてその難しさを繰り返し体験してもらっているのです。また、技法はつづれ織りだから、好きなように絵織りにしたりはできるけれども、キリムはそういう表現活動ではないのです。モチーフに意味があり、遊牧民の人たちは魂と祈りを込めて織ってきました。それがキリムの姿。先人に敬意を表し、そこだけは私がずっとこだわっているところであり、譲れないところなのです」

Koyunさんの教室では、昔のキリムを見本に図案を起こし、上級クラスからはできるだけ見本に近づけた配色で織っているのだそう。

「それでも、全く同じものは織れないのがキリムの魅力。ちゃんと個性がでるんです。そして、生徒さんの作品も、これはキリムだと、自信を持って言える作品づくりができるのです」


▲オールドキリムが使われたバッグは日頃愛用。バッグに仕立てられたものを購入した。

キリムに心から魅了され、賛美しているKoyunさん。今後は、キリムをはじめ、古代から伝わるプリミティブな織技法の研究・伝承を一生の仕事としたいと考えています。

「教室を20年続けて一番感じていることは、キリムは日本人に向いている手仕事だということです。器用不器用は関係ありません。糸と遊び、指を使って織る、誰にでもできるキリムを、できれば子どもたちにも伝えていきたい、と思っています」

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